「秀征さんとの出逢い」

総理が代わったことで政治改革は仕切り直しとなった。

我々は再び行動を起こした。

若手議員の会では、国民運動を展開すべく「政治改革フォーラム」の名で各地でパネルディスカッションをスタートさせた。主に、仲間の地元で開催したが、高砂市文化会館でも開催した。

先輩議員の多くは選挙制度改革に反対だった。

既に安定した支援基盤を持ち財政的にも恵まれていたからだ。

制度が変わることで戦いが見えにくくなり、新たな対応が必要となるからだ。

そんな先輩の中で最も我々に理解があり政治改革に熱心だったのが羽田孜氏だ。

羽田さんは我々のバックボーンとして常に行動を共にして頂いた。

行きつけの蕎麦屋で夜遅くまで熱っぼく議論したことをなつかしく思う。

平成4年の年末、ユートピアのコアメンバーが忘年会で築地市場の中にあるすし屋の2階に集まった。

その席に同席していた田中秀征氏から「制度改革研究会」という一枚のペーパーが配られた。

日本の国のかたちを変える。そのためには政治主導で日本のあらゆる制度を改革しなければならない‥‥。

そんな主旨だったと記憶している。

私はショックを受けた。

以前から政と官とのあり方に疑問を感じていたが、田中氏の提案は見事に問題点を浮きぼりにしていたからだ。

制度改革研究会は、武村氏が代表幹事、田中秀征氏が事務局長に就任した。

超党派の議員勉強会であると同時に首長や民間人も参加した。

菅直人氏や仙石由人氏、細川護熙氏、小池百合子氏、宮内義彦氏(オリックス会長)など多士済々のメンバーが参加した。

私からお願いして貝原俊民氏(前兵庫県知事)にも参加して頂いた。

研究会のテーマは「国のかたち」、地方分権や規制改革について熱心な議論が行なわれ、当時の行政改革審議会の応援団となった。

既にこの頃から我々の新党結成の決意を固めつつあったが、制度改革研究会はカモフラージュの役割を果たしてくれた。

この研究会で存在感をみせた一人が仙石由人氏(当時社会党)である。

彼の鋭い議論は特筆すべきものがあった。

彼の発言の真意が理解できない時もあり、隣の園田博之氏に聞くと、園田氏も「俺も良く分からん」と言った時もあったくらいむずかしい話をしていたと記憶している。